かつての厄介者「敵産家屋」、カフェやギャラリーとして再生
一時は厄介者のように考えられていた。それが最近ではわざわざ訪ねていく名所として脚光を浴びている。かつて植民地時代に朝鮮で暮らしていた日本人たちが1945年の敗戦で日本本土に引き揚げ、現地に残していった家や建物を意味する「敵産家屋」のことだ。「敵」が残していった「財産」という意味があるだけに痛々しい歴史を凝縮した建物だが、近ごろではこれを復元して作り上げたカフェやゲストハウス、文化スペースが新たに注目を集めている。
敵産家屋の相当数は、文化財庁が登録文化財に指定・管理している。文化財としての価値を認められなかったり個人が所有していたりする建物は管理すらきちんとなされず、一時は頭痛の種のように扱われた。こうした雰囲気が完全に変わったのは、ここ1-2年のことだ。特有の昔の情緒、いにしえの味わいに10代・20代が熱狂し始めたことで、その動きが一段と進んだ。こうした若者は、最近では、敵産家屋カフェやギャラリーがある場所ならどんなに遠くても訪れる。こうした波に乗って、全羅北道の群山や全羅南道の木浦周辺の数カ所でのみ注目されていた敵産家屋は、いつの間にか韓国各地で新たに誕生し、オープンし始めた。群山・木浦はもちろんソウル・京畿・仁川・江原・釜山・済州、あちこちで人を新たに呼び集めている。
--- 以降省略 ---
【朝鮮日報日本語版】
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2018/06/28/2018062802261.html
敵産家屋の相当数は、文化財庁が登録文化財に指定・管理している。文化財としての価値を認められなかったり個人が所有していたりする建物は管理すらきちんとなされず、一時は頭痛の種のように扱われた。こうした雰囲気が完全に変わったのは、ここ1-2年のことだ。特有の昔の情緒、いにしえの味わいに10代・20代が熱狂し始めたことで、その動きが一段と進んだ。こうした若者は、最近では、敵産家屋カフェやギャラリーがある場所ならどんなに遠くても訪れる。こうした波に乗って、全羅北道の群山や全羅南道の木浦周辺の数カ所でのみ注目されていた敵産家屋は、いつの間にか韓国各地で新たに誕生し、オープンし始めた。群山・木浦はもちろんソウル・京畿・仁川・江原・釜山・済州、あちこちで人を新たに呼び集めている。
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