[コラム]“消えた”安重根記念館



 中国のハルビン駅に安重根記念館ができたのは2014年1月だった。1909年、伊藤博文を射殺した現場の直ぐ前の貴賓用待合室を改造して作ったものだった。ハルビン駅舎は、20世紀に何回もの増改築をたどりながら、当初ロシアの東清鉄道時期の姿はほとんど失った状態だった。1988年に現代的建物に変貌した新しい駅舎も、2014年に安重根記念館を迎える頃にはすでにかなり古くなっていた。

 そのためか記念館は相当に引き立って見えた。古いロシア式建築をそっくり模した黄色い壁の入口を新たに作った。草緑色の文字で「安重根義士記念館」と書かれた黒い看板が訪問客を迎え、記念館入口の低い垣根も高級感を添えた。

 記念館の内部には、安重根の生涯とハルビン駅の挙事、彼の思想などに対する説明が写真と共に韓国語と中国語で展示されていた。安重根が遺した筆文字も懸かっていた。何よりも圧巻は、展示館の奥の全面ガラス窓から見える外の光景だった。安重根が伊藤を射殺した1番ホームだった。床には安重根と伊藤が立っていた場所が表示され、上には現場を知らせる表示板が「1909年10月26日」という日付とともに懸かっていた。

 わずか4年余り前に作られたハルビン駅の安重根記念館の話を持ち出して、すべての文章を「過去型」で書いたのは、この施設が今はなくなっているためだ。ハルビン駅舎がまた大々的な増改築をすることになり、記念館は昨年3月に休館され、後に撤去された。1番ホームも撤去された。今月5日に訪ねたハルビン駅で職員に尋ねたところ、目隠し幕が張られた工事現場を指さして「記念館と義挙の現場はそこだと言った。今はすべて撤去され見ることはできない」とのことだった。

 ハルビン駅の駅舎は、100年余り前のロシア時期の姿に変身中だ。外観は伝統的だが、屋内は現代的に整え、中国が誇る高速鉄道に相応しい東北地方の中心駅を目標にしている。

 今年末には工事が終わると言っていた新駅に、安重根記念館も帰って来るだろうか?当初ハルビン駅に安重根記念館ができたのは、2013年6月に中国を訪問した朴槿恵(パク・クネ)大統領の要請に習近平主席が快く同意して実現した。黒龍江省党史研究所のキム・ウジョン元所長は「習主席が自ら指示したことなのでうまくいくだろう。韓国と中国の約束であり、習近平と朴槿恵のひそかな約束ではなかった」と話した。中国当局がハルビン駅の改築後に記念館を2倍に拡張することにしたという報道もあった。

 だが「行って見なければ分からない」という反応もある。韓中日の力学関係が変わったためだ。韓中はTHAAD軋轢以後に関係が微妙になった反面、中日は慎重ではあるが接近する局面だ。朴槿恵政府の時のような「韓中反日歴史共助」を期待することは難しい状況だ。その上、ハルビンに安重根記念施設を作ろうとの試みは、日本の反対ですでに数回失敗した。中国が日本からの外資誘致を推進していた時期だった。

「あんたの所は常時いちばん下っ端ですが・・・」


 ハルビン駅記念館にあった胸像、彫刻品、説明資料などは、現在ハルビン市内の「朝鮮民族芸術館」に別に空間を用意して展示中だ。当初2006年からハルビン駅施設ができるまで、記念館の役割をした所だ。芸術館関係者は「駅にあった時は行き来する中国人も多数参観したが、ここに再び来てからは以前のように韓国人ときわめて一部の北朝鮮の人だけが訪れる」と話した。

 韓中関係の風景かと思い苦い味がした。ハルビン駅記念館を再び見られない可能性もあるという不安を抱くのは私一人だけであろうか。是が非でも今度は新装なった記念館再開の便りを伝えたい。

【ハンギョレ新聞日本語版】http://japan.hani.co.kr/arti/opinion/31375.html


中国にとっては何の値打ちも無い施設でしょう。
しかも主権侵害行為でもありますからね。気分の良い物では
なかったけれど、朴槿恵を手なずける材料として使っただけ。
それにしてもナゼ自国に建てない?現場でなくても良いのに。
慰安婦像にしてもそう、要は海外で日本を貶めるためだから。

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