<コラム>韓国流に馴染めない私はどうしようもない日本人なのだろうか
「メウンタン」
「メウンタン」
キムチチゲ、テンジャンチゲ、メウンタン…と韓国はなべもの天国である。大きななべをテーブルの中央において、みなでつついて食べる。スプーンで汁をすくって飲み、箸で具をつまんで食べる。取り箸というのは基本使わない。自分の箸とスプーンでそのまま食べる。
自分の分がセグメントに分けられて出てくる日本のスタイルとちがって、こちらではみなでいっしょにつついて食べるのが一般的だ。お寺では韓国の場合も、1人1人別々に御膳が出る仕組みになっているものの、一般の家庭では1人1人別々に盛り付けするということはしない。
みんなでいっしょに1つなべを囲んで食べる。1人1人別々の日本スタイルに慣れている人からみると、少し汚い感じがするかもしれない。口に入れた箸でなべものをつまむわけだから、箸についた唾液がなべにしみるじゃないかというわけだ。
たしかに唾液はふんだんに入っているにちがいない。ときにはつばのようなものまで入るかもしれない。しかし韓国の人は、そういうこまかいことには気をつかわない。みんなでいっしょに、おれもおまえもいっしょに同じなべをつつく。ここのところが彼らにとってはとても重要なことなのである。食べるときは、みんないっしょ。なべも同じもので、というのがベースとなる意識である。
物乞いがやってきても、いっしょに食事を与えてやるのがつい最近(といっても2、30年前)までの常識であり風習であった。おおらかででっかい意識が見えはしまいか。
1人1人別々にとって食べるという姿は、韓国の人にとってはちょっとみみっちくてちまちましていて、セコイ姿に映るようだ。みんなで食べるというのが常識的意識だから、ある面では困ることもある。わたしは授業の関係などもあって、よく研究室で1人でかみさんの作ってくれた弁当を食べたりパンを食べたりすることがあるのだが、韓国人のかみさんはそれが非常に気に入らないのである。
わたしとしては1人でゆっくり誰に気兼せずに食べられる研究室での1人食事は無上の喜びなのだが、かみさんの意識としては、職場で1人で食事するなんてのは、なんとみすぼらしく、かわいそうな姿なのかと思うようである。ほんとうは毎日研究室で昼ご飯をマイペースで食べたいのだが、かみさんの「命令」により週2回は難しい時間をなんとかやりくりして同僚と食べることにしている。しかしわたしは研究室で1人静かにゆっくりと食べたいというのが本音なのである。やはりどうしようもない日本人なのであろう。
■筆者プロフィール:木口 政樹
イザベラ・バードが理想郷と呼んだ山形県・米沢市出身。1988年渡韓し慶州の女性と結婚。三星(サムスン)人力開発院日本語科教授を経て白石大学校教授(2002年〜現在)。趣味はサッカーボールのリフティング、クラシックギター、山歩きなど。
【Record China】https://www.recordchina.co.jp/b568596-s116-c30-d1116.html
「参考画像」
「キムチチゲ」
「テンジャンチゲ」
自分の分がセグメントに分けられて出てくる日本のスタイルとちがって、こちらではみなでいっしょにつついて食べるのが一般的だ。お寺では韓国の場合も、1人1人別々に御膳が出る仕組みになっているものの、一般の家庭では1人1人別々に盛り付けするということはしない。
みんなでいっしょに1つなべを囲んで食べる。1人1人別々の日本スタイルに慣れている人からみると、少し汚い感じがするかもしれない。口に入れた箸でなべものをつまむわけだから、箸についた唾液がなべにしみるじゃないかというわけだ。
たしかに唾液はふんだんに入っているにちがいない。ときにはつばのようなものまで入るかもしれない。しかし韓国の人は、そういうこまかいことには気をつかわない。みんなでいっしょに、おれもおまえもいっしょに同じなべをつつく。ここのところが彼らにとってはとても重要なことなのである。食べるときは、みんないっしょ。なべも同じもので、というのがベースとなる意識である。
物乞いがやってきても、いっしょに食事を与えてやるのがつい最近(といっても2、30年前)までの常識であり風習であった。おおらかででっかい意識が見えはしまいか。
1人1人別々にとって食べるという姿は、韓国の人にとってはちょっとみみっちくてちまちましていて、セコイ姿に映るようだ。みんなで食べるというのが常識的意識だから、ある面では困ることもある。わたしは授業の関係などもあって、よく研究室で1人でかみさんの作ってくれた弁当を食べたりパンを食べたりすることがあるのだが、韓国人のかみさんはそれが非常に気に入らないのである。
わたしとしては1人でゆっくり誰に気兼せずに食べられる研究室での1人食事は無上の喜びなのだが、かみさんの意識としては、職場で1人で食事するなんてのは、なんとみすぼらしく、かわいそうな姿なのかと思うようである。ほんとうは毎日研究室で昼ご飯をマイペースで食べたいのだが、かみさんの「命令」により週2回は難しい時間をなんとかやりくりして同僚と食べることにしている。しかしわたしは研究室で1人静かにゆっくりと食べたいというのが本音なのである。やはりどうしようもない日本人なのであろう。
■筆者プロフィール:木口 政樹
イザベラ・バードが理想郷と呼んだ山形県・米沢市出身。1988年渡韓し慶州の女性と結婚。三星(サムスン)人力開発院日本語科教授を経て白石大学校教授(2002年〜現在)。趣味はサッカーボールのリフティング、クラシックギター、山歩きなど。
【Record China】https://www.recordchina.co.jp/b568596-s116-c30-d1116.html
「参考画像」
「キムチチゲ」
「テンジャンチゲ」
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李氏朝鮮時代に塩は清国から製造禁止されて無し,醤油や味噌,コショウ,ワサビや生姜も無し,赤唐辛子粉(=赤キムチ粉)も含め全て日本統治の20世紀以降に広まったもの.貴族以外は陶磁器の食器や鉄の包丁が無い為に,犬猫ネズミや飢餓のあまり死にそうで邪魔な老婆や赤子を生きたまま土製の瓶にぶち込んで瓶茹でし,地べたにぶち巻いて犬食いだった.
戦後は米国の傀儡国家となって,米軍お下がりのステンレス製プレート食器と金属箸とスプーンが普及したが,2000年間の手食いで箸の習慣は日本統治時代に習っただけで扱えず,現在もスプーンは手食いの代わりに用意され,食器をテーブルに置いたまま顔を突っ込んでスプーンかき込んで食う.
今の韓式定食のルーツでになったのはソウル五輪1988がきっかけで,外国から選手,要人,観光客を迎えるにあたりインフラと食の整備後で,日本の定食をパクった韓定食と焼肉屋がチラホラ出現し始めた.全てここ10-15年ほどの話.従って食堂の残飯使い回しは当然の感覚.
三郎太
がしました