韓国伝統葬儀文化の大半が日本の残滓




 麻の寿衣、菊で飾った遺影、喪主の腕章、遺族の左胸の黒リボン…。これまで伝統葬儀文化として知られていたこうした風習の多くが実際は日帝植民地の残滓であることが確認された。

 ソウル市とソウル施設管理公団は31日、奪われた道、韓国葬儀文化の植民地性」をテーマに来月20日までソウル市庁1階のロビーで無料展示会を開くと発表した。展示会は三一独立運動100周年となる2019年の新年を迎え、韓国葬儀文化の日帝植民残滓を集中的に扱った。

 ソウル市は今回の展示会を通じて、日帝時代の朝鮮総督府が韓国の伝統を抹殺して韓国人の意識を支配するために葬儀文化を毀損した過程を知ることができるとも説明した。

 実際、葬儀文化の専門家によると、韓国の伝統葬儀法では故人が生前に着いていた服のうち最も良いのを寿衣として使用した。このため朝鮮時代の墓を移葬する際に発見された寿衣は絹などで作られた華麗なものだ。麻の寿衣は親と死別した子が「私は罪人」という意味で着た。麻の伝統服は屈巾祭服と呼ぶ。

「ほとんどが白の薄汚れた着衣の着た切り雀。最も良いもなにも無い。絹?夢見過ぎ。」


 葬儀で遺体の安置場所に花を立体的に高く積むのも日本から入ってきた。韓国伝統葬儀に使われた花は水波蓮と呼ばれる喪輿につける花がすべてだ。安置場所の後ろには花でなく屏風を置く。

 このように韓国伝統葬儀法が日本式に変わったのは1934年11月10日に朝鮮総督府が「儀礼準則」を発表したからだ。当時、朝鮮総督の宇垣一成は「生活様式のうち各種儀礼は旧態が毅然として続いていて、改善する余地が少なくない」とし「その中でも婚姻・葬儀・祭事の形式と慣例は過度に煩雑であり、厳粛でなければいけない儀礼も細々しいため必要以上に注意を払うことになり、その精神を忘却しないか懸念されるほどになった」と述べた。

 儀礼準則と共に出した「朝鮮総督府制定の儀礼準則とその解説」は「寿衣は麻・木綿などを使用し、絹など高価なものを使用してはならない」と書かれている。パク・テホ大韓葬儀指導者協会研究委員は「これは日帝が収奪を目的に韓国の葬儀文化を毀損した証拠」とし「その後、日本は『朝鮮蚕糸統制令』を出し、朝鮮で生産された蚕の繭の大半を日帝に強制的に売るようにした」と説明した。

「日帝統治以降の話か。持てるようになったからといって贅沢するな、という事でしょう。
だいたい絹の量産化自体が日帝由来。」



 遺族が付ける黒のリボンや腕章も朝鮮総督府儀礼準則に基づいた方式だ。儀礼準則には伝統の屈巾祭服を省略してトゥルマギと頭巾を着用するようにし、左胸には黒のリボンを付けるようにした。スーツを着た人の腕に黒い腕章が付いたのもこの時だ。パク・テホ研究委員は「最近では遺族の腕章が軍階級章のように変わった」とし「4線の腕章は喪主が、3線の腕章はそのほかの息子が、2線は婿が、1線は孫・兄弟が付けるが、これがあたかも伝統のように考えられている」と話した。

 遺影を菊で飾る方式は日本の葬儀文化とともに流入した。葬儀業界の関係者は「80年代に日本の葬儀文化が韓国に初めて流入し、その後、韓国の葬儀業者が日本の専門家から最新の装飾を習ってくる」と説明した。

 ソウル市は今回の展示を通じて、国権を失えば生と死のアイデンティティーまで失うことになるという事実を悟るきっかけになることを期待している。ソ・ヘソン三一運動100周年ソウル市記念事業総監督は「100年前のその日、高宗(コジョン)は日帝主導の『国葬』で倭色化された冥土の道をたどった」とし「三一運動100周年の今年は『葬儀の植民地性』の省察をはじめ、葬儀文化の儀式を確立してほしい」と強調した。

【中央日報日本語版】https://japanese.joins.com/article/657/248657.html


途中で突っ込むのも面倒になりました。www アホらし。

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