中国の5・4運動が100周年



「朝鮮の独立宣言文を各学校の校門や廟堂に貼り付けておいて、刺激を受けて、軍閥や外勢などの抑圧者を打倒するために努力しなければならない」。中国の上海時報は1919年5月4日付の社説で、2カ月前に起きた3・1運動の教訓をこのように記した。今日で100周年を迎える中国の5・4運動と韓国の3・1運動は、そのように抗日と反封建の精神で触れ合っている。

◆5・4運動の発端は、第1次世界大戦の処理のためのパリ講和会議で、敗戦国ドイツが山東省で持っていた利権を日本に渡すように承認したことに対する不満だった。これに先立って、北洋軍閥出身総統・袁世凱が日本に様々な利権を渡す「21カ条の要求」を受け入れて不満が高まっていたところに、油を注いだのである。5月4日、天安門広場で北京大学学生主導で3000人余りが大規模なデモを行った後、デモ隊が「親日売国奴3人」の一人である軍閥政府の交通総長・ジャオルリンの家に押しかけていった。彼らは、応接室に日本天皇の写真が掛けられているのを見て激怒して家を燃やし、軍閥政府はこの事件に加担した32人の学生を逮捕した。このニュースが伝わると、北京から始まって、全国的に市民の抗日半軍閥政府運動が拡大した。

中国人は当時、日本人を「鬼子(ゴースト)」と呼ぶほど嫌いながらも気後れしていた。植民地の朝鮮を同情しながらも、腐敗と無能のために滅びたと無視していた中国人は、3・1運動を見て認識が完全に変わった。同年4月、上海臨時政府の樹立に好意的だったことも3・1運動の影響だったと、釜山(プサン)大学のぺ・ギョンファン教授は語った。後に共産党初代総書記となった新文化運動の旗手である陳獨秀は、「朝鮮の独立運動は偉大で、切実で、民意による武力に頼らない世界革命史の新紀元だ」と評価した。

◆5・4運動は、中国歴史の中で民衆が歴史の主体として登場した出来事であり、主権意識を表出した初の市民運動で、現代史の出発点である。中国共産党の結党も5・4運動から芽生えた大衆の主権意識が土壌となった。先月30日、5.4運動100周年記念式で習近平主席は、「愛国」は19回言及したが、「抗日」は取り上げなかった。日本と再び近づこうとする政治的考慮のためとみられる。もう一つのキーワードである「民主」が全く言及されなかったのは、自分の権力強化と相反するためとみられる。再来年に創党100年を迎える共産党が、5・4運動の基本精神で、返帝(愛国)と一緒に民主も衰退させないことを願う。

【東亜日報日本語版】http://japanese.donga.com/Home/3/all/27/1720035/1


3.1運動をよく持ち出しますが、日帝が彼らの言うような
存在だったとしたら、そんなもの許しておくわけない。
何せ、少女20万人を強制連行して慰安婦にし、用が済んだら
撃ち殺したり、焼き殺したりしていたらしいですからね。

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