表現の自由は死んだ?「韓国要らない」特集への批判は論理破綻 反韓感情は「道頓堀川への飛び込み」に似て…



 小学館発行の週刊誌「週刊ポスト」が掲載した、「韓国なんて要らない」という特集に批判が集まって、同誌の編集部が謝罪する事態が発生しておりますな。

 「表現の自由」とは、なかなか難しい問題です。私は、愛知県で開催中の国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」の例の展示は絶対ダメだと思っています。昭和天皇の写真をバーナーで焼いて灰を踏み付けるなんて、公共の場所で、そんな展示をやっていいわけがありません。表現の自由は守らなければならない。しかし、常識とか限度はあると思いますよ。

 だが、トリエンナーレの企画展の支援者は「表現の自由は死んだ!」とか叫びまくってる。

 じゃあ言うけど…この週刊ポストの記事を批判している方々と、まさにトリエンナーレで「表現の自由が奪われた!」と叫びまくっている人々と重なっていません? それ、論理破綻してるの分かってはるのでしょうか? 矛盾の塊やん。まあ、何を言っても聞く耳もってくれへんやろうけど(笑)。

 週刊ポストの記事に話を戻しましょう。

 ここ最近、日本国内で韓国に対して風当たりが強い。ま、マスコミは正義感とか使命とかより、金になるものを追いますよね。人気あるものに傾くということです。

 ということは、現在、世論は相当「反韓」になっていることは否めない。でも、私はその感情も一定の理解はしますよ。だって日本人はこれだけ長らく韓国に「あおり運転」を食らってきたじゃないですか。助手席に乗ってる左翼にも横からイタズラされるしね(笑)。

 そりゃ、最近の喧騒(けんそう)の中で、少しくらい言い返すのは当たり前でしょう。われわれはどれだけ侮辱され、だまされ、貶められてきたか。辛酸ナメナメ国家・日本なんだから。

 この感情を関西風に言うとね。1985年の阪神優勝の時に似ているんです。21年間、優勝から遠ざかっていたタイガースファンは、ずっと悔しい思いをしておりました。自分が死ぬまでに阪神は優勝できるのかと。

 しかし! 85年、掛布、バース、岡田のバックスクリーンへの三連発ホームランよろしく、悲願の優勝を決めたとき、阪神ファンの多くが道頓堀川に飛び込んだ。はっきり言って、それはやり過ぎだったのかもしれません。でも、一定の理解はできるのです。だってそれくらい勝ってなかったんだもの(笑)。

 最近の反韓感情は「道頓堀川への飛び込み」に似ていて、今まで悔しい思いを何年も抱えてきた「積年ジャンプ」なのです。韓国からの、そして国内の左派からの侮辱に耐えに耐えた暁に、ちょっと調子に乗ってしまってるレベルですな。

 ■桂春蝶(かつら・しゅんちょう) 1975年、大阪府生まれ。父、二代目桂春蝶の死をきっかけに、落語家になることを決意。94年、三代目桂春団治に入門。2009年「三代目桂春蝶」襲名。明るく華のある芸風で人気。人情噺(ばなし)の古典から、新作までこなす。14年、大阪市の「咲くやこの花賞」受賞。

【zakzak】http://www.zakzak.co.jp/ent/news/190910/enn1909100008-n1.html




春蝶さんの言うとおりですね。付け足す語句が見つかりません。

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