【コラム】「認知的偏向」と二つの大韓民国



「グリーンイルベ」。緑色のベレー帽をかぶる米陸軍特殊部隊「グリーンベレー」の誤字ではない。ネイバー(NAVER)のイメージ索引「グリーン」と極右派のオンラインコミュニティである「イルベ(日刊ベスト貯蔵所)」の合成語だ。ネイバーのニュースコメントの内容が主に右派の傾向を見せるといって付けられた名前だ。反対に、ダウム(DAUM)は左派傾向の文章が多く「チュァウム」と呼ばれる。

今月2日、記者が書いた「チン・ジュングォンのロゴス、ユ・シミンのパトス」に関連した記事を見たい。「チョ・グク事態」をめぐる二人の発言を分析した記事で、一日で65万件に5000個近いコメントが書き込まれた。この中で共感・推薦上位30位のコメントをみると、ネイバーではチン・ジュングォン氏を、ダウムでは全部ユ・シミン氏を支持する内容だった。これには相手方に対する強い嫌悪も含まれていた。

この記事だけでなく、政治・経済・社会・文化を問わず多くのニュースコメントがこのような傾向を見せている。そのような理由でネイバーのニュースは主に保守傾向のネットユーザーが、ダウムのニュースは進歩傾向のネットユーザーが利用すると見なされる。お互いを侮辱する「グリーンイルベ」と「チュァウム」という言葉が作られたのもこのためだ。

行動経済学の創始者で2002年ノーベル賞を受けたダニエル・カーネマンは人間の意思決定過程をシステムⅠとⅡに分けて説明する。Ⅰは大きな努力なしに自動的に早く作動するが、Ⅱは複雑な計算と集中力が必要だ。人間を理性的存在と定めたⅡ(主流経済学)とは違い、行動経済学は非理性的な判断をするⅠの観点から人間を眺める。(『考えに関する考え』)

この時、Ⅰを説明する中心的な概念が「認知的偏向」だ。普段自身の考えと似た情報だけを受け入れ、異なるものは排斥する傾向だ。これが繰り返されれば、信じたいことだけを信じる「確証偏向」になる。今はⅠが心地よいかもしれないが、長期的には普遍と常識から遠ざかる。後日には自分だけが正しいと感じて「異なる」ことを「間違った」と見なす。

フェイスブックが自身の好みに合う文章だけを勧め、ネットフリックスが不思議にも好きな映画だけを選んでくれるのも同じだ。わざわざ新しいことを試みなければ片方に偏るほかはない。まして世の中を眺める窓であるニュースの場合はどうだろうか。ポータルであれユーチューブであれ、お互いに異なる考えに向き合うことが重要な理由はそのためだ。見たいニュースだけ見て、信じたい人の話しだけを信じれば、いつのまにか自信もこっそりと「認知的偏向」に陥ってしまう。

現代人には直ちに理解できなかったり、相手の意見が心地悪かったりしてもそれに向き合うことのできる勇気と努力が必要だ。そうすれば、最近のように広場が2つに分かれることも減るのではないだろうか。

ユン・ソンマン/社会エディター兼論説委員

【中央日報日本語版】https://japanese.joins.com/JArticle/261680


普段、日本に対するアノ国を観察したような分析ですね。付け足す言葉がほとんど見つからないくらいです。それでもこの記事を書いた人は、自分も含めて国全体がそうだとは考えていないでしょうね。

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