ポスコ50年と韓国人の団結力



 浦項製鉄の建設に着工して10カ月ほど経った1969年2月、当時の朴泰俊(パク・テジュン)会長は側近に「会社の清算計画」を準備しておくよう極秘の指示を出した。世界銀行や米国などが、「韓国はまだ時期尚早」だとして浦項製鉄への資金援助の考えを撤回したからだ。1人あたりの国民所得が200ドルをようやく超える程度の国が分不相応に夢見ていた総合製鉄所は、まさに一夜の夢で終わろうとしていた。朴正煕(パク・チョンヒ)大統領が韓日国交正常化の決断を下し、日本からの資金で浦項製鉄や京釜高速道路などを作った。そのポスコが、4月1日で創立50周年を迎える。

 1968年の創立メンバー34人を、故・朴泰俊会長は「要員」と呼んだ。今でもポスコでは、当時の人々をそのように呼ぶ。「職員」と呼ぶのでは、創立メンバーらが共有していた覚悟を説明できないという。「失敗したらこのまま『右向け右』して、迎日湾に飛び込んで死のう」と言っていた人々だ。世界最高を目標に掲げ、遂には達成した。

「迎日湾、迎恩門の対日版かと思ったら違いました。そんな恩を感じるわけないですね。」


 1973年6月に最初の銑鉄を吐き出した高炉が、神話の始まりだった。社歌の冒頭に「煮えよ溶鉱炉」とあったこの高炉を武器に416億ウォン(現在のレートで約42億円、以下同じ)でスタートした売上額は、昨年28兆ウォン(約2兆8000億円)を超えた。1997年からの2年間は世界トップの製鉄所の座を占めたが、中国とインドの物量攻勢や大規模な買収・合併によりトップ5に後退した。

 2015年は、ポスコにとって恥辱の年だった。グローバル鉄鋼不況も打撃だったが、70を超えていた系列会社の赤字が雪だるまのように膨れ上がり、創立以来初めて赤字を記録した。「企業の発展はすなわち国の発展で、企業の最大の不忠は赤字経営」と言っていた朴泰俊・元会長が世を去ってから4年後のことだった。浦項製鉄は2000年に民営化され、名前もポスコに変えた。それでも韓国の歴代政権は、一株も持たないのにポスコを「所有物」のように扱った。おびただしい数の人間が天下りし、外から吹きつける政治の風は片時も休まることがなかった。

 1969年に世界銀行が浦項製鉄に対する支援をやめる決定をする、その契機となる報告書を書いた英国人博士は、80年代中盤に全盛期真っ最中の朴会長と会った。その博士は「報告書を書くとき、あなたという存在を知らず、あのように書いた」と語った。朴会長はこう答えた。「いや。あなたは韓国人を知らなかった。ひとたび団結したら常識を超越する力を発揮する民族だ。それを知らなかったのだ」。「団結したら力を発揮する韓国人」という言葉いつまで通じるのか心配になる今日このごろだ。

李陳錫(イ・ジンソク)論説委員

【朝鮮日報日本語版】
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2018/03/31/2018033100590.html


相変わらず、日本への感謝など微塵も無いですな。
自ら「日本の資金」で作ったと書きながら。英国人博士も、
知らなかったのは当然でミスではない。もし間違いを指摘
するとしたら、日本が作り指導した事を知らなかった事。
こんな筋金入りの恩知らずには制裁あるのみ。

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