文禄の役で活躍した「伝説の猿騎兵隊」は実在した



1751年、朝鮮の実学者、李重煥(イ・チュンファン、1690~1756)が書いた擇里志の「八道論・忠清道」には、迫力あふれる戦闘シーンが出てくる。現在の忠清南道天安(チュンチョンナムド・チョンナン)付近の素沙地域の伝説を紹介し、文禄の役当時、平壌(ピョンヤン)の幸州(ヘンジュ)山城戦闘とともに陸上での3大勝利に挙げられる素沙戦闘(1597年)を詳細に描写したものだ。

中でも猿騎馬部隊の活躍ぶりは、まるでファンタジー映画や軍記物に登場するシーンのように劇的で幻想的だ。しかし、文禄の役が終戦して約150年流れた後にようやく擇里志が書かれ、それまでは朝鮮の文献や明、日本の史料からは猿部隊の活動を見られず、説話や野史のように考えられてきた。

しかし最近、文禄の役で活躍した明の猿特殊部隊の実体を明らかにする研究が出された。文禄の役に参戦した人々が猿部隊の存在を記録した文献が発見されたのだ。成均館(ソンギュングァン)大学韓文学科の安大會(アン・デヒ)教授は、このような内容を盛り込んだ論文「文禄の役素沙戦闘の明援軍猿騎兵隊」を研究会「文献と解釈」で公開する予定だ。今年は文禄の役終戦420年になる年だ。

●参戦勇士の記録に出てきた猿騎兵隊

文禄の役の間、新寧県監として戦闘に参加したソン・ギヤン(1559~1617)。1598年7月21日の彼の日記には、明の指揮官、劉綎部隊を見てきた彼の目に映った不思議なものが記録されている。

「劉綎の軍陣から帰ってきたところ、楚猿(猿)とラクダがいると言った。猿は十分に敵陣に突進でき、ラクダは物を運べるという」

ソン・ギヤンは日記を残す方だった。戦争の残酷な戦闘状況同様に視線を引き付けたのは、他でもない猿とラクダだった。文禄の役当時の実記を通じて猿の騎兵隊の実体が明らかになったのだ。

文禄の役を最も詳しく叙述したと評価される趙慶男(1570~1641)の「乱中雑録」でも同様の姿を確認できる。趙慶男が直接、明の部隊を確認した後、言葉をうまく扱う猿の機動隊の存在を描写したのだ。彼の記録は、擇里志の説明とほぼ完ぺきに符合する。

 「軍士の中で楚猿4頭がいて、馬に乗ったお手並みは人と同じだった。体は大きな猫に似ていた」

● 絵の中に登場した猿の兵士たち

絵を通じても猿部隊の実体が確認された。慶尚北道安東(キョンサンプクト・アンドン)の豊山金氏の門中に伝えられた「世伝書画帖」。32の絵や文献で構成されたこの画帖の中で1599年2月、明の14万の大軍が本国に撤収する様子を描いた「天朝将士餞別図」がある。この絵の左下段には「猿兵三百」という旗の下で類人猿十頭が刀を持って行軍する場面が登場する。猿兵士300という意味だ。安教授は、「西欧の『指輪物語』のようなファンタジー小説よりも劇的でドラマチックな戦闘が文禄の役の時、韓半島で繰り広げられた」とし、「今回の研究を機に映画やゲームなど多彩な文化コンテンツで猿部隊の活躍を活用するといい」と話した。

【東亜日報日本語版】http://japanese.donga.com/Home/3/all/27/1351826/1


これも教授という立場の人が書いた文章ですね。教授・・・
まさか本気ではないだろうと読み進め、最後のところで西欧の
ファンタジーと比べているのを見て「あっ、本気なんだ」と
驚きました。まだまだ奥が深いですなぁ・・・アノ国は。

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